西浦クンの「実習教材開発」~膨張宇宙の年齢(簡易版)



目 次


1. はじめに

1927年~1929年頃、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブル(Edwin Hubble)は、我々の銀河系から遠くに位置する銀河ほど、より早く銀河系から遠ざかるような運動をしていることを発見した。具体的には、銀河系から2倍遠くに位置する銀河は、2倍速く銀河系から遠ざかって行くような運動をしているのである。即ち、ある銀河までの距離をd(Mpc)、その銀河が銀河系から遠ざかる速さ(以下、「後退速度」と呼ぶ)をv(km/s)とすると、比例定数H0を用いて、

v = H0

と表されることが判明したのである。ここで比例定数H0ハッブル定数(Hubble constant)と呼ばれ、「km/s/Mpc」という単位を持つ。そして、この関係式はハッブルの法則(Hubble law)と呼ばれ、発見当時、机上の空論と思われていた「膨張宇宙」の状況証拠の一つと受け取られた。何故ならこの関係式は、全ての銀河がある一点から後退運動を始めたことを如実に示しているからである。

ハッブルの法則は宇宙の膨張を示唆しており、ハッブル定数は、宇宙の膨張速度を示している。従って、銀河のまでの距離とその後退速度の関係(ハッブルの法則)からハッブル定数を求めることで、宇宙の年齢を導出することが可能となる。宇宙の年齢を明らかにすることは、現代天文学の重要なテーマの一つである。今、この瞬間にも、天文学研究の最前線においては、極めて精密な観測装置を用いた、様々な方法で宇宙年齢の解明が試みられている。本教材では、その最初の一歩として、極めて簡単な仮定と方法で、宇宙年齢を導出してみよう。

2. 基本原理

ハッブル定数を求める前段階として、銀河までの距離と後退速度の関係を図にしてみる。このような関係図はハッブル図(Hubble diagram)と呼ばれる。図1に、ハッブルが初期に発表したハッブル図を示した。



図1:ハッブルによる初期のハッブル図。横軸は Mpc 単位で表した銀河までの距離、縦軸は km/s 単位で表した銀河の後退速度。直線と点線は、それぞれ、この関係を最もよく表すと考えられる直線である。図の上部には、二つの直線から得られたハッブル定数(ここでは「H」)が記されている。

ハッブル図を描くためには、幾つかの銀河に対して、観測から「銀河までの距離」とその「銀河の後退速度」を求めなければならない。

銀河の後退速度を求めるためには、まず分光観測からその銀河のスペクトルを得る。遠ざかる銀河から発せられた光のスペクトルは、ドップラー効果によって、波長が長い方(振動数が短い方)にシフトする。この波長のシフト量は、あらかじめ出現する波長が分っているスペクトル線、例えば水素イオンから放射される波長 656.3 nm(1 nm = 10-9 m)や酸素イオンから放射される波長 500.7 nm などを用いる。図2に、実際に観測された、波長 656.3 nm の水素イオンから放射される線スペクトルの波長シフトの図を示した。



図2:様々な銀河のスペクトルに見られる波長シフト。横軸が波長で、左から右にかけて短波長から長波長であることを示している。縦は様々な銀河の名称とスペクトルを表している。図中の「Hα」とは、水素イオンから放射される波長 656.3 nm の線スペクトルの名称である。右端の数字は、銀河の後退速度である。各スペクトルに付いている赤矢印は「Hα」の位置が、本来の 656.3 nm 位置からどこまでシフトしているかを示している。(小川ほか, 2016, "新編 地学基礎", 数研出版, 東京, p.186)

スペクトルの波長シフトの量を用いる方法は、その初期から、高い精度で銀河の後退速度を算出することができた。そこで、本実習でも銀河の後退速度は、データ・ベースから得られた値をそのまま使うことにする。これに対して、様々な困難を伴うのが、銀河までの距離を精度良く算出する方法である。ここでは、これらの詳細については触れないことにして、本教材による実習に必要な距離測定の方法を解説する。

遠くにあり本当の大きさが分らない物体の大きさを、我々は「それを見込む角度」で認識している。そのため、図3のように、全く同じ形・同じ大きさの物体であっても、遠くに位置する物体の方は、見かけ上、小さく見えることになる。



図3:同じ形・同じ大きさの物体を「見込む角度」と「見かけ上の大きさ」のイメージ図。

これに、高校1年生の終わり頃(多分)に学ぶ数学を応用すると、「物体の真の大きさD」と「物体までの距離d」「物体を見込む角度θ」の間には、θが非常に小さい場合に限り、

dθ = D

という関係が成り立つことが分る。この場合、θは一般的に知られる「度(°)」ではなく、ラジアン(radian:「rad」と表記)と呼ばれる量である。なお、角度p(°)とθ(rad)の間の関係は、θ(rad)=p(°)×3.14159/180 である。また、「D」と「d」の単位は同じになる。

従って、図4のように、銀河の真の大きさをD(Mpc)、その銀河までの距離をd(Mpc)、銀河を見込む角度をθ(rad)とすると、

d = D / θ

となる。

では、銀河の真の大きさDはどのように決められるだろうか?実は、比較的精度良く真の大きさが測定されている銀河が一つある。それは、我々が住む銀河系である。銀河系の大きさをどのように算出するかは、省略するが、高校理科の地学基礎や地学の教科書では、銀河の真の大きさ(より正しく言えば銀河円盤の真の大きさ)は約10万光年と記されている。1光年は 0.307 pc(パーセク)なので、ここでは、

 銀河系の真の大きさ(直径)は、30.0 kpc(キロパーセク)[仮定1]

と仮定しよう。そしてさらに、

 あらゆる銀河を正面からみた形は円である[仮定2]

 あらゆる銀河の真の大きさは全て銀河系と等しい[仮定3]

と仮定することにしよう。すると、銀河までの距離を Mpc(メガパーセク)単位で表すことにすれば、

d = 0.030 / θ

となる。つまり、銀河を見込む角度θを測定すれば、その銀河までの距離dが簡単な計算で得られることになる。

本実習では、銀河の見かけ上の大きさを測定することで、その銀河までの距離を算出し、これとデータ・ベースから得られた後退速度の値を用いることでハッブル図を描画する。そして、ハッブル図の傾きからハッブル定数を決定し、さらに、ハッブル定数から宇宙年齢を導出することを試みる。



図4:銀河までの距離、真の大きさ(実直径)、見込む角度、の関係。
3. 銀河サンプル

ハッブル図を描くための銀河のサンプルを、次のような観点から選んだ。

これらの条件を満たす銀河として、Rush ほか(1993)の研究論文から、後退速度が既知であるI型セイファート(Seyfert I)活動性を持つ円盤銀河・渦巻銀河を14個選出した。そして、バーチャル天文台システムSkyViewを用いて、これら14銀河の可視光画像をデジタル・スカイ・サーベイ(Digitized Sky Survey = DSS)から収集した。ただし、その際に、サンプル銀河が画像の中央に来るように、かつ、視野が5分角x5分角となるようにした。表1に、サンプル銀河の基本的なデータをまとめ、DSS画像にへのリンクを設置した。

表1:サンプル銀河の一覧
銀河名赤経
(J2000.0)
赤緯
(J2000.0)
形態活動性後退速度
(km/s)
別名 Image
UGC 0048800 47 19.4+14 42 13 SabSy111572MRK 1146
PGC 002768
JPG
UGC 0077401 13 51.0+13 16 18 S?Sy114720IRAS 01112+1300
MRK 0975
PGC 004428
JPG
ESO 543-G01101 40 15.6-22 14 45 NSy125812IRAS 01378-2230
PGC 006176
JPG
MRK 140002 20 13.7+08 12 20 S0Sy18784PGC 008899 JPG
NGC 93102 28 14.5+31 18 42 SbcSy14917IRAS 02252+3105
MRK1040
PGC 009399
UGC 01935
JPG
MRK 104402 30 05.4-08 59 53 SB0Sy14887PGC 009523 JPG
MRK 118702 48 22.0+13 56 07 SSy113461PGC 010618 JPG
IRAS 02553-164202 57 40.8-16 30 46 ---Sy120386----- JPG
VII Zw 24408 44 45.2+76 53 09 SSy139663PGC 024560 JPG
NGC 308009 59 55.8+13 02 38 SaSy110553MRK 1243
PGC 028910
UGC 05372
JPG
MRK 134713 22 55.4+08 09 42 SSy115086IRAS 13204+0825
PGC 046743
JPG
MRK 88516 29 48.2+67 22 42 SbSy17495PGC 058354 JPG
MRK 89620 46 20.9ー02 48 45 SBbSy17855IRAS 20437-0259
PGC 065349
JPG
II Zw 13621 32 27.8+10 08 19 SaSy118880IRAS 21299+0954
MRK 1513,9001
PGC 066930
UGC 11763
JPG


4. 銀河までの距離の算出

第2章で述べた様に、銀河までの距離は、それを見込む角度から得られる。ところが第2章の仮定2にも関わらず、表1から得られる様々な銀河の姿の多くは、全く円には見えない。測定すべき「銀河を見込む角度」とはどこの長さだろうか?高校理科の地学基礎や地学の教科書に記されているように、実は多くの銀河は、中央部分が少し膨らんだ円盤型をしている。従って、図5のように、銀河の真の形が円であったとしても、それをどの方向から観測するかによって、見かけの形は変ることになる。ただし、見かけの大きさは、その銀河の最も長い部分であることが分るだろうか?手元に円盤型の物体があれば、実際にそれを手に持って、色々と回転させて観察して欲しい。「銀河を見込む角度」とは、銀河の最も長い部分、銀河を楕円形と見なした時の長軸の長さに他ならないのである

図5:「銀河を見込む方向」と「銀河の見かけ上の形」図6:「視野」と「銀河を見込む角度」

さらに、本実習で用意した画像は、その視野を5分角x5分角で統一している。従って、図6のように、この視野の大きさと比較することで、それぞれの銀河を見込む角度を計算することができる。なお、1分角 = 1/60度角、であることに注意して欲しい。


5. ハッブル図の描画とハッブル定数・宇宙年齢の導出

第4章までで各銀河までの距離d(Mpc)と後退速度v(km/s)のデータが揃ったことになる。そこで、銀河までの距離に対する後退速度の図、即ち、ハッブル図を描いてみよう。おそらく、とてもきれいな関係図にはならないはずである。しかし図7左図のような「より遠くにある銀河ほど、より後退速度が速い」という傾向は見られないだろうか。



図7:ハッブル図とハッブル定数の導出

そこで次に、図7右図のように、完成したハッブル図の上に「より遠くにある銀河ほど、より後退速度が速い」という傾向を、もっとも良く表していると思われる直線を一本引いてみよう。実際の研究では、このような場合には「最小二(自)乗法」という方法を用いて、最もらしい直線を得るのだが、これについては大学や他の機会で学んで欲しい。今回の実習ではフィーリングで構わない。ただし、この直線は原点( 0, 0 )を通るように引くこと。そして、この直線の傾きが、多くの研究者が真の値を知りたいと熱く挑んでいる「ハッブル定数」である。さて、どのような値が得られただろうか?

最後に、ハッブル定数から宇宙年齢を求めよう。ハッブル定数の逆数1/H0 の次元は時間である。そして、この定数の科学的な意味を考えれば、ハッブル定数が膨張宇宙の年齢を表していることは分るはずである。このハッブル定数の逆数1/H0 が示す宇宙年齢はハッブル時間(Hubble time)と呼ばれる。そこで、単位換算を行って、ハッブル時間の単位を「年」に直してみよう。これで得られた値が、膨張宇宙の年齢である。なお、1 Mpc = 3.09×1019 km、1 年 = 3.16×10 s(秒)である。

謝辞

本実習用教材のオリジナルは、西浦が、東京大学大学院理学系研究科附属天文学教育研究センター木曽観測所の研究機関研究員(PD研究員)として勤務していた際に、当時の同観測所所員全員で開発したものである。オリジナルのアイディアを当時の所長中田好一氏が提案され、西浦がそれを検証・プロトタイプの作成を行った。教材の実用化には、当時の同観測所の三戸洋之氏、宮田隆志氏、青木勉氏、征矢野隆夫氏、樽沢賢一氏、田中由美子氏、同センターの峰崎岳夫氏に多大な協力を頂いた。皆様に感謝申し上げたい。なお本教材は、西浦ほか(2007)として公表されている。

参考文献


実習用資料(A4サイズ、PDF形式)
  1. 「膨張宇宙の年齢」解説[PDF](本HPを再編集・PDF化したもの)
  2. サンプル銀河画像(14銀河)[PDF](印刷時は片面印刷を推奨)
  3. 実習用ワークシート(3枚)[PDF]

Created: Wed Sep 09 09:45 JST 2020
Last modified: Tue Sep 29 14:50 JST 2020